さようなら、そして、こんにちは
3年ほど前のセクゾのライブ映像を見てたら、菊池くんは「Fake」を歌っていた。
「こんなダークな曲を思い切りカッコつけた衣装で踊ってた人が、たったの数年でHelloみたいな明るい歌詞を書いてしまうんだから成長って恐ろしいなぁ」と見ながら考えていたし、友達にも話した。
友達には爆笑された。
よく思うことだけど、20-Tw/Nty-が‘‘大人‘‘になるための通過儀礼だとしたら、Helloは‘‘大人‘‘になったことを認めるための歌。
そう認識している。
菊池くんは自分で作詞をよくするせいか、今の自分が身を置く環境だったり、心情などを一番の基本としている気がする。
前に番組で、「日頃から溜めているものを詞に入れ込む」みたいなことを言ってたけど、彼の作る詞はまさにそんな感じだ。
それでも、菊池くんほど等身大の自分をメロディに乗せて表現するジャニーズもなかなかいないと私は思っている。
- 等身大の自分
これは中島さんと比較してみるとよく分かる。
彼は、王子様キャラや所謂ラブホリキャラという一つのキャラクターを確立させて、中島健人自身がどのようなものかというイメージを固めている。
王子様なんて誰もが憧れるし、アイドルとしては最高のキャラクターではあるけど、それが表現の自由という面で彼を縛り付けている気がする。
彼のソロ曲を見てみると、一人の女性に対して宛てた所謂恋愛ソングや、アイドルらしいキラキラしたものなど。
よく言えば、王子様キャラを如実に表している。
悪く言えば、キャラに捉われ過ぎている。
彼のソロ曲はそんな印象を受けるような曲が多い。
反対に、菊池くんのソロ曲はなんというか捉われていない印象を受ける。
時には「Fake」のようなダークな曲を歌ったり、時には「Hello」のような明るい曲を歌ったり。
よく言えば、等身大の今の自分を如実に表している。
悪く言えば、定まっていない。
比較して考えると改めて菊池くんのソロ曲は、素直だなと思う。
今の自分をありのままに表現する。
たまには普段言葉にできないこともメロディに乗せたりする。
そう考えると、特に「20-Tw/Nty」・「My Lovin` Season」・「Hello」は等身大の彼をよく表している気がする。
- 感謝の気持ち
さっきも言ったけど「20-Tw/Nty」は通過儀礼のための曲だなと思っている。
二十歳になる際に彼が起こした行動が、「両親への感謝を伝える」ことだった。
それと同時に彼は「大人になる」という決心をしたのではないかと思う。
なんでこんなことを思ったかは、後に話す「My Lovin` Season」と「20-Tw/Nty」の前の曲「It`s Going Down!」の歌詞を見たから。
「20-Tw/Nty」が収録された3枚目のアルバムが発売されたのは2015年3月11日。ちょうど彼の誕生日直後。
となると、当たり前だけど曲が作られたのは誕生日の前。いつごろかってのは特定はしにくいけど、多くとも半年前くらいからの見積もりでいいと思う。
大人になると、今まで自由を制限していた鎖が解ける。でも、それと同時にやらなくちゃいけないことが増える。
大人になるってことは、結構嬉しくて、少しだけめんどくさい。
大人になる前は、ある種の独特の不安や期待や緊張感がある。
「早く自由になりたい」って気持ちと、「まだ子供でいたい」って気持ちが入り混じる。
だからこそ、何かしらの形を残したかったんじゃないかな、なんて思う。
話は変わるけど、ここで「It`s Going Down!」の歌詞を見てみる。
Time`s up
It`s going down!
笑って はしゃいで 騒いだnoise 紡いで
It`s going down!
何もかもを混ぜてカタチにしたmelody
Like a memory......
Like a memory......
So ここで全部 Let it out
夢にならぬよう 綴る melody
これに超自己的解釈の和訳を織り混ぜる。
もう時間だ
やっちゃおう!
笑って はしゃいで やかましい騒音を紡いで
決行だ!
夢のような思い出になってしまう……
だからここで全部吐き出しちゃおう
夢にならぬよう紡ぐ旋律
it`s going downをどうして同じ訳にしなかったかは、不自然かなと思ったから。
「やっちゃおう」には、漠然とした意味を持たずに行動を起こすイメージ、「決行だ」には目的をもって行動を起こすイメージがそれぞれあったからこれらを当てはめてみた。
どうしてこの言葉を当てはめたかって?
このサビの部分、たったの数行で曲の主人公である「彼」は気付いてしまったのかな、なんて思う。
「もうすぐで子供の自分の時間が終わってしまう。やってたことがただの思い出になる。だから、今のうちに子供ができることを全てやってしまわないと」
だから、本来の意味は「夢のような」になるlike a memoryをこう訳した。
大人になってしまうことに気付いた「彼」は、今こうして周りの仲間と騒いでいることも子供の時の思い出になってしまうことを恐れたんだと思う。
それなら今を、有限な今を楽しまないと。
なんてことを思ったんじゃないかな。
ここで、子供として生きれる残り少ない時間を精一杯に楽しもうと決めた。
そして少しずつ、でも確かにやってくる「大人の時間」を迎え入れるために「今まで育ててくれた両親への感謝」という行為をした。
これこそが、彼にとっての通過儀礼だったんじゃないかなと思っている。
だからこそ、「20-Tw/Nty」が生まれた。大人になるために。
手探りの愛で
どんな夜も光灯して
ぬくもりをくれたね
忘れないよ
生まれてきたこと
日々あなたと過ごせたこと
上手く言えないけど
ありがとう
愛しているよ
この曲は感謝の気持ちをストレートに歌っているサビが好きだ。
別の言葉で言い換えるわけでもなく、真っ直ぐに20年間ずっと見てきてくれた両親に向けて「ありがとう」と。
そう歌って大人としてこれから歩んでいこうと決心した。
そういえばこれから二十歳じゃなくなるけど、そうなると20-Tw/Ntyは歌わなくなるんかな…。なんて不安はある。
でも、心の中には子供の時の思い出を惜しむ気持ちと、大人になることの不安があったと思う。
- 形に残らない思い出に思いを馳せて
通過儀礼を終えたけど、心のどこかに不安はあったし、そのせいか子供の時の思い出が余計にキラキラして見えたのかもしれない。
どうしても子供の時の思い出がキラキラとして、でも自分の為にもグループへの還元のためにも大人にならないといけなくて。
でも彼は大人になることを選んだ。それと同時に今までの思い出に別れを告げることを決めた。
別れると言っても、そう簡単にはいかない。今までのものを捨てるのって、結構な勇気がいる。
「ちゃんと思い出とは決別する。でも今だけもう少し縋らせてほしい」
過去との決別のために「My Lovin` Season」が作られた。
波の音も 焼けた砂も
アルバムに残らない君の声も
何もかもが愛しいから
最後の一秒まで笑っていたいな
思い出にはまだしない My Lovin` Season
夏の終わりを知らないわけじゃない
思い出も紡いでも戻れはしない
空に上げて 合図 また花びら舞い
空見上げて 曖昧に語り出すふいに
また来年集いたいなんて
毎年ながらも切なく響く
ただ今はこのまま暫く
儚く舞う花びらの如く
特にこの辺が過去の思い出を惜しむ気持ちと、それでももう少しで決別しようとしている心情が表れてる気がする。
彼にとっての‘‘夏‘‘は過去の思い出で、波の音も焼けた砂も無くしたくない一瞬で、でも決別しなくてはいけない思い出で、それはまるで風に乗ってどこかへ行ってしまう花びらのように綺麗で、どこか頼りないものだった。
歌詞の最後の方に「思い出にしたくない」ってあるけど、これはもう過去に縋るのは止めようなんて決心にも捉えることが出来る気がする。
だって、「君といれば」それだけで今この瞬間がかけがえのないものだから。
こうして、「My Lovin` Season」を作詞し歌うことによって、過去との決別の決心を着けた。
どうして「決別した」と言わないかは、「My Lovin` season」の歌詞を見る限りは「決別した」よりも「決心した」の方と考えた方がしっくりくるから。
- 明るく開けた世界で
通過儀礼を終えて、過去との別れをして、そして彼は大人になった。
何度も言うけど、大人になるってことは少し面倒だったりする。
それでも、新しくできることや、新しい発見だってある。
大人になってから見る世界は彼にとって、輝いていて、眩しかった。
色々考えてみたけど、「Hello」は大人になってから見えた世界への挨拶と、大人になった自分への挨拶なのかなと思う。
輝かしくて、多少の戸惑いはあっただろうけど、周りへの感謝を伝えて、過去との決別をしてから見る世界はキラキラしてなんでも出来ちゃうのかもしれない。
彼はそう思ったことで、「やっと大人になれたんだ」と実感した。
だからこそ、大人になった自分に、そしてそんな自分の目から見える輝く世界に、はじめまして。
Hey! Hello,Everybody!
ゴキゲンに行こう
Today`s my coordinate
笑えるくらい
ハデにキメて
Hello! Hello!!Girls!!
思うまま歌おう(Hello)
今までと見違えた世界
Fakeで「怯える君を閉じ込めてしまって」なんて書いてたのに、「今日の格好は笑えるくらい派手に決めちゃって」なんて書くから成長って本当に恐ろしい。
少し面倒で不安だった大人は想像よりも楽しかったって感じられたのかな。
この歌詞を見る限りそう思えて仕方ない。
とにかくこの曲は、キラキラしてて、明るくて、何も怖いことが無くて、軽やかで、音さえも輝いて、何よりも歌ってる本人が楽しそうで。
とても好きだ。大人になれた彼が楽しそうに歌って、セカイを受け入れる姿がとても眩しい。
まだ少しだけある怖さも全部受け止めて、思うままに歌おうとする。なんて素敵なんだろう。
両親への感謝も、過去との決別も全然無駄じゃなかった。この曲がそう教えてくれてる気がする。
だからこそ、声高らかに。やっと会えた大人の自分、そんな自分にはじめまして。
あと、Helloの歌い始めから光が一気に射す演出が好きだ。
暗闇は怖い気持ちが勝っていた時の自分なのかな。そこにたくさんの明かりが灯ったと考えると、すごく楽しい。
- 光と闇(番外編)
脱線するし、番外編なんだけど、中島さんと菊池くんのソロのステージは光と闇の使い方が対称的だなぁとよく思う。
中島さんは光の中に闇が入るイメージで、菊池くんは闇の中に光が入るイメージ。
実際見てみると、中島さんは煌々としたまたは仄かな光が照らしているところから始まる曲が多い気がするし、菊池くんの曲はだいたい暗闇から曲が始まってる気がする。
中島さんと菊池くんの2人それぞれに光と闇、どちらを与えるかと聞いたら、多分中島さんに光を菊池くんに闇を。そう考える人が多い気がする。
本人たちもそれを分かっているんじゃないかなぁと思っている。
(もっとも、今回の黒崎くんの言いなりになんてならないで中島健人=暗闇と連想する人が増えるかもしれない)
だからこそ、光と闇の使い方が対称的なのかもしれない。
ずっと光だけを見てるのも、ずっと暗闇だけを見てるのも、それはそれで疲れてしまうからだからアクセントに正反対のものを加える。
光の存在も闇の存在も分かっている2人だから出来ることだと思う。
なんとか誕生日前に書き終えることが出来て、ほっとしてる。
もうすぐで二十歳の菊池くんは世界中探してもいなくなってしまうけど、21歳の菊池くんにこれから会える。
少しの不安とたくさんの期待。
21歳になった菊池くんが、「But...」にどんな色を付けて、今までのソロ曲にどんな色を加えて、そして21歳の彼がメロディに乗せて表現する言葉がどんなものか。
とても楽しみ。
少し早いけど、Happy Birthday !!
そして、一つまた大人になる君に、Hello